小田原は近代を代表する数寄者が別荘や邸宅を構えておりました。益田鈍翁(1848~1938)の掃雲台は残念ですが宅地に変わっております。松永耳庵(1875~1971)の邸宅跡は小田原市郷土文化館分館「松永記念館」として存続しておりますので訪ねてまいりました。ルート検索に従い新幹線小田原駅からバスに乗車して上板橋で下車しました。そこからのルートは少し分かりにくく、ナビのヘルプが必要でした。
松永安左エ門(号 耳庵)の生涯は、記念館の略年譜、と言ってもA4用紙の表裏に小さい文字でビッシリ記載がありますが、を見ると概略が分かります。26歳から実業界で活躍し、一時は衆議院議員も務め、60歳から茶の湯を始めて政財界のお歴々、学者、芸術家など多くの著名人と茶事を楽しみました。
門を入ると、右手に別館、左手に本館があります(写真)。先ず別館に入ってみました。すると職員の方がおられて、松永記念館についての見どころを丁寧に説明下さいました。蒐集された美術品はこの記念館にはなく、戦前のものは東京国立博物館、戦後のものは福岡市美術館に一括寄贈されて各々「松永コレクション」として保存されているのですね。別館・本館とも入場料無料ですし、写真撮影OKです。
本館前の池は睡蓮のお花が丁度見ごろで、思わず見とれてしまいました(写真)。今までこんなに綺麗に咲いている睡蓮のお花を見る機会がなく、ズームアップでシャッターを切りました。綺麗に見えたのは小雨模様の天候の影響もあったかもしれません。
散策路沿いに野崎幻庵(1859~1941)の建てた茶室「葉雨庵」(国登録有形文化財)が移築されております。本館裏手は緩い坂になっており、中腹には邸宅「老欅荘」(国登録有形文化財)の名前の由来となった推定樹齢400年の欅と黒部渓谷の巨石があります(写真)。耳庵流のお客様をもてなす思いが込められているという解説がありました。
坂を上りきると右手に耳庵が建てた田舎家「無住庵」(国登録有形文化財)(写真)、左手に老欅荘(1946年から8年をかけて増改築)があります。老欅荘に入りますと、ガイドの女性が現れまして各部屋を詳しく説明してくださいました(入場料無料、写真撮影可)。
老欅荘は居室と茶室とが混在しており、各部屋が意匠を凝らした作りになっているようです。畳にしても、広間には大きさの違う畳が組み敷かれ(写真)、畳縁のない坊主畳を敷いた和室もありました。また終戦直後の建築ですが、既にバリアフリーになっているのですね。広間と茶室からの景色も風情がありました(写真)。
松永記念館で頂いたパンフレットには「松永耳庵は最後の数寄茶人とも呼ばれ、益田鈍翁、原三渓とともに近代三茶人の一人」との記載があります。先述の略年譜を見ますと、交友関係の一端が垣間見れます。日本を命運を握っていた有力者との交流を想像すると、織豊時代の千利休が思い浮かびました。