本阿弥光悦(1558~1637)の本拠地であった鷹峯に行って参りました。本阿弥家は刀剣の鑑定・研磨・浄拭を家業としており、実父の光二は加賀前田家より扶持200石を受けておりました。長男の光悦もこれを継承しておりましたが、家業よりも書・陶芸・漆芸などの芸術面に秀でた才能を発揮し、その作品には国宝・重要文化財級のものが多数あります。
光悦の母妙秀は「本阿弥行状記」にその人となりが記載されているようです。姉法秀は尾形光琳(1658~1716)・乾山(1663~1743)の曾祖母であり、楽家五代宗入(1664~1716)の曾祖母でもあります。日本美術史に燦然と輝く血統の一つに本阿弥家はあるのですね。
光悦は1615年鷹峯に東西二百間(360m)南北七町(760m)の土地を徳川家康から拝領したという記述がパンフレットやSNSに載っていますが、それを裏付ける幕府側の資料はなく、詳細は不明であるという専門家の意見もあるようです。それはともかく、ここ鷹峯に一族縁者や種々の工芸に携わる職人とともに住居を構えて工芸集落(光悦村)を営みました。また本阿弥家先祖の位牌所を設け、光悦没後に寺となって今日の日蓮宗光悦寺になりました。大雑把な位置関係を古地図と現在の地図とを対比して作成してみました(写真)。
光悦寺に至る参道は紅葉の名所として知られています(写真)。入場口から中に入りますと、通常のお寺というよりも茶室7棟が点在する広い日本庭園のような印象です(写真)。有名な光悦垣があり(写真)、とても質素な光悦の墓碑もみられます。また鷹ヶ峰・鷲ヶ峰が間近にみえ(写真)、眼下に京の町並みと遠くに東山連峰が望める景勝地でもあります(写真)。
不世出の芸術家の墓所として、とてもふさわしいロケーションですね。小さい石塔も周りの景色に溶け込んで好ましく思いました。どなたが作庭されたのでしょう....光悦本人でしょうか。
光悦と楽家との交流は有名です。光悦寺から千家や楽家までは自動車なら20分足らずですが、江戸時代の交通手段はAIによれば人の移動は基本的には徒歩、荷物の輸送は馬が主体だったそうです。鷹峯はいわゆる西の鯖街道の要衝に位置しており(写真)、物流や人の往来が盛んだったようですね。